学習への無気力無関心からの卒業
アキと中2の数学の教材を解こうとしたところ、すこしおかしな質問を受けました。
「これ中2? 中2のやつ?」
「そう」
「中2だよね??」
「うん。そうだってば」
「ふふ(笑)」
「…?」(何が面白かったのかな?)
あとになって気づきました。しばらくの間、小学生向けの算数のドリルをずっとやっていたので、中2の教材を解けることがうれしかったんだと。
小学生の教材をやるのは、中学生としてはプライドに関わるもんね。でも、「割合、比、速さ、図形」「漢字」とか、小学生の教材はまだ少し取り組むことになるんだけどな…。もう少し告げずにおきます。
使っている教材は小学生のドリルから、中1、中2の教科書、教科書ガイド、入門書、問題集など多岐にわたります。
教材がごちゃごちゃするので、「これ1冊を完璧にする!」みたいなスマートな方法を取りたいですが、アキの性格からすると、薄くてやさしい教材をいくつも与えて、それをこなしていくのが合っているようです。
学年に関係なく、単元ごとに複数の教材を使うので、勉強をはじめた頃は、その状況に少し混乱しているように見えました。
もっと言うと、勉強関連のコミュニケーションへの反応が鈍いというか。
例えば、棚から教材を探して、取り出し、開いて、前回の続きの箇所を開く、そのちょっとした一連の動作が、ゆっくりなんですね。
「あれーどこ行った? あーここだ」みたいに、机から離れた壁際の棚から教材を探すところから始まる。気持ちが学習に向いていないので教材への関心が低く、使い勝手がいいように整理する気持ちもないようにみえました。
いまは、勉強のはじめに私が
「算数のドリル、中2の数学の教科書とガイドを出して。あと中2の問題集も」
と言うと、学習机の上の棚からてきぱきと出して準備します。
前回どこまでやったかページを探すのに私が手間取っていると、
「50ページまでやったっけ?」
「52ページまでやったよ」
と反応がすぐあります。
たったそれだけのことです。ですが、渋々やっていた勉強に対して、すこしずつ自分から取り組もうとしているように見えます。
ちょうどいま学校でやっている中2数学の範囲が、複雑な計算が不要な図形の単元で、学校の授業を理解して、解けることも影響しているようです。
また別の単元、別の教科で、わからなくなったら気持ちは再び下がるのでしょう。
でもそうやって、あがったり下がったりを繰り返しながら、学習への耐性をつけて、ゆるやかに上昇していければいいなと思います。
困ったときのビリギャル本に、無気力感について記述がありましたので引用します。
自分でできるという、自分への期待や信頼(自己効力感)を持たせることが大切だ、とあります。
(中略)
そういう子は、心理学で言う「自己効力感」(self efficacy)が足りないと見なせます。
それで、あらゆることに対して「逆カラーバス効果」(何にも興味を抱けないので、それに関連する情報も頭に入ってこない効果)とも言うべき状態が起こっていると考えられるのです。
自分のしたことに達成感を覚えたことがなかったり、周囲にポジティブな影響を与えたと感じたことがなかったりすると、ヒトというのは、何かに興味を持つということ自体が難しくなるのです。
その場合、何か――具体的にはその子が最も苦手とする教科などの、行き詰まっている段階にまで立ち戻って、その問題を解けるようにしてあげて、「無理だと思っていた超絶苦手科目すら、クリアできるんだ」ということをまず体験させて、少しずつ自己効力感を持てるようにしていくことが先決となります。
引用元 坪田信貴(2013)『学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて慶応大学に現役合格した話』KADOKAWA pp124-125